last updated 1997/06/05
第21話(全130話)
マリカ姫(4/4)
ペンダントの赤い閃光は、マスターからのSOSを報せるアラームだった。マリカはペンダ
ントを裏返し、そこに表示された数値を見て、マスターの現在地を確認する。
「行かなければなりません」マリカは敬語で、ナッツに言った。いまや彼のほうが彼女よりも
目上の者だった。
「そのようだね」
「またいつかお目にかかります。その時はあなたに成長を認めてもらえるようになっています
」「きみはもう姫ではない。だがそれをわかっているのはいまの所、きみ自身と私のふたりだ
けだ。他の者にとって、きみはあくまでもマリカ姫であり続けるだろうし、そうとなればきみ
を捕らえて政治のかけひきの材料にしようと考える族が現れるかもしれん。その危険について
は考えたかね?」
「はい何度も。あなたの教えがわたしを守ってくれると、そう結論しました」
「また別の者にとっては、きみは城や国王の後ろ盾などひとつも持たない、ただの小娘だ。そ
ういう者たちはきみへの尊敬も敬意も持ち合わせず無礼なふるまいに及ぶかもしれん。それは
耐えられるのか?」
「わくわくします。わたしは生まれてはじめてわたし自身として人と向き合えるんですもの。
自分の実力と魅力だけで評価してもらえるんだわ」
「最低の評価を下されるかもしれんぞ」
「そうでしょうか」
姫というレッテルをはぎ取ってしまえば、わたしなど何の価値もない人間だろうか?
マリカははじめて不安そうな目になった。
「最低の女だと後ろ指をさされて、それに耐えられるか?」
ナッツと重ねて訊いた。
考えて、マリカはゆっくりとうなずきを返す。
「わたしは最低の女ではありません。自分でそれを知り、それを信じています。だから人から
どう罵られようと気にはしません」
「その心意気があるのなら、大丈夫。自分は最低だと思う人間だけが、最低の人間になって行
くものだ。マリカ、きみはそんな最低の人間と出逢うことにもなるだろう。そういう時、きみ
はその人間を救い上げなさい。最低も最高もない、ただ人間を丸ごと愛せる娘であり続けなさ
い。・・できるか?」
「・・はい」
「ではマスターのところへと急ぐことだ。ぐずぐずしていると、すぐに私の指揮する捜索隊に
発見されるぞ」
「はい。・・ナッツ、いえ、ナッツ様、ご機嫌よう。お元気で」
「きみも。ビッグアイのご加護がありますように」
「ありがとうございます」
言い置き、弾けるような笑顔の余韻をその場に残して、マリカはナッツの許から走り出て行
った。その後ろ姿を見送って、ナッツはタメ息まじりに微笑む。
若い娘が着替えも食料も水すら持たずに逃げ出して行くほどの重荷を、この城は姫に背負わ
せていたのか。国王にはひと言苦言を呈さなければならんな。姫に反旗を翻されてしまうよう
で、どうして国をまとめることができましょうか、と。
たぶん国王はそんな私の言葉に微笑みで応えるだろう。国に反旗を翻すくらいの気概を持つ
娘を持てたことを誇りに思うよ、と、あの国王ならきっと大らかに笑うはずだ。国も父も地位
も名誉も捨てて、野へと走り出したい欲求を押さえられないほどの、若さとエネルギーこそ、
一国の後継者に必要な資質なのだと、と、国王は言うだろう。
娘にそんなエネルギーを溢れさせるために、王はわざと意に添わぬ結婚を押し付けたのかも
しれない。自分が悪者になることで、姫に成長を促すことができるなら、自分は喜んで悪魔を
演じてみせよう。王はそういう人だし、常に相手の心を気遣い、相手の心こそをなによりも優
先させて考える、それが我ら民族の伝統だ。
ナッツは姫と過ごした練習場をその場でぐるりとひと回りして眺め渡す。幼かった女の子が
、いま蛹の時代を過ぎ、大空へはばたきはじめようとしている。その事実に時の流れの早さを
感じ、自身の老いを感じ、そしてナッツは自分の魂を確かに次の世代へと受け渡した満足感に
包まれた。
マリカ姫。大いにはばたきなさい。自由に大空を舞いなさい。望めるだけ高みを目指しなさ
い。あなたがどのように自分の若さをみつめようと、どれだけ無鉄砲に振る舞おうと、あなた
がそれを自分に許せるなら、私もあなたをニコやかに見守り続けましょう。
マリカ姫、国王はあなたを捜せなどとは決して命じはしませんよ。国王はわざとあなたが旅
立つように仕向けたのですから。国を継ぐ者には試練が必要なのです。マリカ姫、あなたはい
ま、その試練に自ら望んで飛び込んで行かれようとしているのです。
頑張りなさい。そしてあなたにしかみつけられない、あなただけの宝をぜひみつけなさい。
その宝を高々と掲げて、きっとあなたはここへ戻っておいでになるでしょう。宝のきらめきは
、あなたの瞳のきらめきかもしれませんね。私は喜んで、あなたの宝にキスを送りましょう。
気高く、雄々しく、勇敢にしてやさしい姫よ。
どうか御無事で。
たったひとりの私の弟子よ。最高の弟子よ。
どうか無事に戻っておくれ・・。
ナッツは知らず目を伏せ、目頭を手で拭っていた。剣の達人は決して涙をこぼさない。その
はずだった。なのに彼は泣いていた。ナッツはいま剣の使い手としてではなく、幼子の成長を
見守り続けた、ひとりの伯父としてここに建っていた。伯父の涙は悲しみの涙ではなく、どう
やら喜びの涙であるようだ。
ナッツはマリカの旅立ちを心から祝福していた。
城を走り出し、国を走り出て、そして自分の手の届かない場所へと飛び出そうとしているマ
リカの姿を、城のバルコニーからカイラ王もみつめていた。
彼の目にも涙がにじんでいる。
「行っておいで、マリカ。どこへ向かうつもりかは知らないし、聞こうとも思わん。どこへな
りと走るがいい」
国王はマリカ姫の後ろ姿に貼り付いたまま動かない目を、無理に引き剥がすようにして、後
ろに控えていた侍従長へと向き直った。
「ティーパート国に使者を送ってくれ」
「かしこまりました。して、何とお伝えになられますか?」
「マリカとの縁談は白紙に戻すと」
「は?」
「姫は城から逃げ出して行った。現在鋭意捜索中であるが、足取りがようとして掴めない。花
嫁が行方不明のまま話を進めるのはそちらに対しても失礼であるし、花嫁不在では話のしよう
もない」
「そう伝えてよろしいのでしょうか?」
「かまわん。それが事実だ」
言った国王の晴れ晴れとした笑顔に戸惑いながら、日々婚礼の準備に追われていた侍従長は
執務室へと下がり、使者を呼んだ。そして
「マリカ姫、急病により長期療養中。縁談は白紙に戻したい」
といった内容の伝言をティーパート国へ伝えるよう指示した。事実とは異なるけれど、結婚
を嫌って姫が城から逃げた、なんて相手に伝えたら、相手の受ける痛手も大きかろうと、配慮
したのだった。常に相手の気持ちをいちばん大切に考える。それがこの民族の基本的な行動パ
ターンだった。
(つづく)
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